生死を目の当たりにして「生きる」ことを選んだ男 〜熊本の復興とサッカーに情熱を注ぐ〜

11月の第2土曜日は、毎年「九州ブロッククラブネットワークアクション」という総合型スポーツクラブの会議が開催される。


今年は鹿児島県での開催だったが、なぜか早い段階で沖縄ー鹿児島の航空券が完売。


仕方なく福岡へ飛行機で向かい、そこから九州新幹線で鹿児島に行くというルートになった。。。


しかも何やらイベントも多く重なっているのか、ホテルも予約できない状況。。。朝9時に鹿児島の会場集合であったため、少しでも近くに行っておきたいとホテルを熊本で取ることにした。


熊本には、JFAスポーツマネージャーズカレッジ通称SMCの同期である山形さん(以下ガタさん)がいる。


無理言って、

「食事でもどうですか?」

とお誘いしたら、

「熊本の人に会っていけ、熊本の被災地を見ていけ」


ということになり、熊本を案内してもらうことになった。

ついて一番びっくりしたのが、その日も震度4の地震があったということだ。

あの体験から、常に地震の恐怖と戦いながら熊本の皆さんは生活している。

]

【もう終わったこと】と思っている馬鹿な僕の目を覚まさせてくる出来事だった。

まだまだ何も終わっていない・・・

そして一番先に向かったのは、熊本県サッカー協会の皆様のところだった。

飛行機が1時間遅れるなど、遅くなった僕を先輩方は暖かく迎えてくれた。

今後予定しているフットボールセンター建設のことから、事業のこと、障害者サッカーのこと、共通の知人のことなど、約2時間情報交換した。

それもかなり有意義な会であったが、言えない情報もあるのでここでは触れないこととする。


そのあと、あたりは暗くなりかけていたが、現地の皆さんのお邪魔にならないように気をつけながら、被災地を見学させてもらうことにした。

一番被害が大きかったという益城町に向かう道中、道路が地震の影響でボコボコになっており車が揺れる、渡れない橋もある、土砂崩れで通行止めになっているところもあるなど、思うようにたどり着くことができない。それだけでもこっちの人たちは不自由な思いをしているのだろう。

東日本大震災後の宮城県を訪れた時は、津波が到達したところまでがごっそり流されている感じであったが、今回は断層に沿って地割れして家が崩れているので、すぐ隣の家でも被害が少ない家もあれば、全壊して瓦礫の山となった家も多くあった。

屋根や外壁が崩れて落ちてきている家もまだまだ多く、この地震の凄まじさを痛感させられた。

写真でお伝えしようかとも考えたが、なんかそんなことしちゃいけない気もして、今回は益城町の写真は撮らなかった。


次に熊本のシンボル熊本城を見学しに行った。

そこは、少しだけ写真を撮らせて頂いたが、瓦も崩れ、石垣もひどく崩れ落ちていた。隣の神社の石垣も崩れていて、人々の信仰や心の支えなど、目に見えない熊本の財産まで地震で奪われたのだろう。


僕は、ジャーナリストでもなければリポーターでもないので、自分自身が見たかったから行っただけなので、被災地の感想はこれくらいにしておこう。

日も沈み、あたりが真っ暗になったので、ガタさんに美味しい馬肉のお店に案内してもらった。

そこでは、美味しいお酒と馬肉料理を頂いた、実は地震前からガタさんと話をしていたのだが、九州や熊本の自然・食材などのポテンシャルはかなり高く、これはもっと活用すべきだと思う。今回それをさらに強く感じた。

お酒も進み、ガタさんの今までについて話を聞くことにした。


山形さんと女子サッカーの出会い

ガタさんは、日本の女子サッカー普及・強化に本当に貢献した人物だ。自分は熊本では嫌われ者だ!と自分で言うくらい、自分の女子サッカーへの思いやこだわりを周囲の人にぶつけてきた。まだなでしこリーグがこんなに有名になるずっと前、読売ベレーザなどが在籍するトップリーグに、熊本の中学生もメンバーにいるようなチームで所属し試合をしていたというのだ。


実は、もともと男子のサッカーを指導していたガタさんだったが、まだ20代の頃女子テニス部の顧問になったことがあったそうだ。

その時、男子同様に指導していたガタさんは、女子を指導する時の配慮など全く考えず、女子部員にかなり嫌われたのだという。

テニスのダブルのペアは、顧問が勝手に戦術的に合いそうなパートナーを選ぶのではなく、苦しい時もお互い支え合えるコンビ、もちろん戦術的な相性、体の成長など本当に多くのことを考えさせられたみたいだ。

その時、女子の部活へのサポートは日本はまだまだだ!と女子スポーツの大きな可能性を感じたのだ。

その学校から転勤して、次に男子サッカーを指導している時に女子のメンバーが入ってきた。

最初は、選手のママさんたちも一緒にプレーしていた様なのだが、選手も増えママさんたちがあまり試合に出れなくなってきたこともあり、女子だけのチームを作った。

そのチームは、九州大会優勝の常連校になり、全国でも同年代と試合してもなかなか負けないチームに成長した。

もっと上を目指したい選手達をサポートするため、ガタさんは保護者を説得し、海外遠征などを行い世界で戦える選手を育成することを目指した。

しかし、そんなことをクラブ単体でやっている女子チームはほとんどなく、当時男子代表の10分の1、20分の1程度の予算しか付いていなかった女子代表に、もっと海外でも経験させるべき!せめて代表だけでも経験させてあげてくれ!とサッカー協会の会長たちへ意見しそれが聞き入れられた。

九州の選抜チームでも、技術的には自分とこの選手だけでも全国で戦えそうなところ、必ず各県から2名ずつ出してくれ!各県のリーダーを育てたい!と各県の指導者を回り説得した。

こうして指導を受けた選手たちが、のちになでしこの選手になり、現在は指導者を行うものまで出てきている。


そんな活動を行う予算なんかはどこにあるのか??

基本はもちろん自前、しかしそれでもチームがトップリーグに属している時は、数千万のお金が必要になる。熊本中を駆け回り、そのお金を集めたのだという。

僕も地域リーグやJFL、Jリーグクラブの経営に携わってきたが、指導者もしながら営業も行い、マネジメントもするという方には出会ったことがない!!


それも数年で4億ものお金を集めてサッカーに費やしてきたのだという。

本当にものすごいパワーだ。。。


ガタさんはなぜそんなにチャレンジできるのか??

ガタさんは、僕の親よりも実は年上だ(笑)でもなんでこんなにチャレンジができるのだろう?SMCも親子ほど年の離れた奴らとともに学び、酒を飲み僕らの話も聞きながら、常に学ぼうという姿勢を見せてくる。本当に尊敬する。


昔から目標を持って行動する方ではあったらしいのだが、実はこんなことがあったらしい・・・



続きは明日更新することにする。

0コメント

  • 1000 / 1000