Jリーグ開幕記念と沖縄本土復帰

1993年5月15日は、Jリーグが開幕した記念日です。昨日もブログで書きましたが、それから20年後の2013年5月15日に、PdH(株)は設立いたしました。

サッカー好きだからその日合わせたの?と聞かれることがあります。

答えは「YES」(笑)

この流れだと、そうじゃありません!!なんて言いそうですが、本当にその通りなんです(笑)

でもそれだけでもないんです。

1972年5月15日、この日は、沖縄が本土復帰した日なのです。僕の生まれが1982年なので、ギリギリこのことは知っていますが、もちろん今の若者は、そんなことがあったことさえ知らない方も大勢いると思います。県外の方にしてみたら、本当に全く知らない方も大勢いると思います。

本土復帰??

本土復帰って何?という方もいると思います。簡単に言うと、日本が戦争に負けた後、1972年まで沖縄はアメリカでした。

車は右側通行、通貨はドルでした。

こうして72年に返還された後も、沖縄はその面積の25%が米軍の基地として使用されています。さらに新基地の建設まで行われています。(これについてはここでは話しません。)

この様に、5月15日という日を境に、私自身を形成する「サッカー」や「沖縄」が大きく変貌を遂げました。

この変化の日に、私も会社を作り、大きな責任を負うことを決意しました。

私の会社のビジネスの中心にあるスポーツやサッカー、そしてそのビジネスを行う沖縄と日本・海外。これらの関係に良い変化を生み出すという思いが込められています。

僕の仕事は、本当に多くの皆さんの支えの上に成り立っています。綺麗事じゃなく、沖縄という場所に生まれた優位性を考えると、この沖縄を作ってきたグソー(あの世)の先輩方(ご先祖様)に本当に感謝です。

そして、本当にラッキーなことに、この沖縄や日本の優位性については、本当に本当に多くの方が気付いていません。(せいぜい海が綺麗だから観光に来る!って思っている程度)

先日読んだ、堀江貴文の「君はどこにでも行ける」を読んでも本当に思いました。実際に海外に多く行き来して商売にしている方は、「おい!堀江そこまで言うなよ!」と思ったと思います(笑)

それでも、日本で育つと行動に移せないんだと思います。日本の常識では革命は起こせいない、変化を生み出せない、変化は好まれないのです。

何も国を大きく変えよう!何て思っていません。笑

でも、ちょっとした生活の変化にすら、なかなか対応できなように我々は教育されてきました。僕は、あまり学校での成績が良くなかったので、何とか理解することができました!

もう何度海外に行ったかはわかりませんが、数回ではなかなか気付かなかったと思います。もっと違う国の文化に触れて、外国人のしたたかさ、生きていくための強さにに触れることで、日本の殻に閉じこもっていたら、ただただ弱者になっちゃう!という危機を感じて少しずつ神経が図太くなったのだと思います。

そんことを、毎年この日には思います。

そして今日5月16日は娘の誕生日。

何はともあれ、こうやって自由にさせてもらっているのは家族の理解があってのこと。

今日は早く帰って、ケーキのロウソクに火を灯したいと思います。

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