僕がいまだに岐阜へ行く理由〜約束と責任〜

僕は、岐阜にいた3年間で全ての市町村をまわり、子供達と触れ合ったり、その土地の美味しいものも食べさせてもらった(笑)


そんなこと言うと、お前はやっぱり岐阜の美味しい物食べに来てるのかぁ!!なんて言われそうだが(少しそれもある笑)、それよりも多くの人たちに本当にお世話になり、可愛がってもらい、そしてその人達にまた来ます!また一緒にボール蹴ろうね〜なんて約束をした。


あの日、今西さんが突然いなくなり、そしてその後グラブの方向性として、「地域貢献に力を入れない」ということが決まり、我々地域貢献推進部も事業部ホームタウン担当という名になった。


僕がよそのクラブ時代のFC岐阜のイメージを話したが、僕が1年目岐阜県内を回り出した時は、コアなサポーター以外、県内の皆さんも僕と同じ様に、あまり良い印象を持っていなかった。


僕が、地域の皆さんにアポを取ろうとすると、「過去に嫌な思いをした!」「また来たのか!二度と来るな!」「会いたくない!」という様なことを本当に言われた。


それが今西さんのおかげで段々理解してもらえる様になり、話を聞いてもらえる様になり、そして僕なんかご馳走してもらえる様にまでなった(笑)


そんなやっと地域の皆さんにご理解頂ける様になり、また来いよ!また来ます!何て関係になった時に、「もう行かなくていい」という状況になってしまった。


僕がいた2010年から3年間は、J1・J2(当時J3はない)の中で、ダントツ1位のホームタウン活動数だった。もちろん数をこなせば良いというものではない。しかし、その成果は確実に出てきており、クラブ史上初の観客数10,000人突破や、地域貢献ウェアスポンサーの伸びなど、巻いていた種が確実に芽を出し、今後の実りが本当に楽しみだった時の出来事だっただけに、本当にショックだった。


今西さんが社長を下されたのを、みんな経営がダメだったとか、お金集めができなかったという様なことを言うが、正直今西さんがいなかったら、FC岐阜の様に当時信用がないクラブはJに上がれなかった。


前回の記事でも話したが、今西和男の日本サッカーへの貢献度、今西和男の信頼だけで岐阜はJにあがったのである。


今西さんが経営を引き継ぐ前から経営はめちゃくちゃで、そもそもお金なんかなかった。そんなどマイナスな状況から、やっと0に戻れそうという道筋が立ちそうな時に、すべては奪われた。


まぁ、今更3年も前のことをどうこう言うつもりはない。


厳しい言い方をしたら、それでももっと早く経営を改善できなかった、今西さんの理念を残すことができなかった我々の力のなさだろう。


しかし、そのおかげで僕は今でも岐阜へ行くのである。


今西さんがいなくなった後、僕も色々考えたが岐阜を離れることを決めた。


しかし、僕には岐阜の皆さんとの約束がある。出会った素晴らしい仲間や友達がいっぱいいる。


だったら、もうFC岐阜がやらないと決めた地域貢献活動を独自で行うことができないか?と考えたのである。


そんな時に、僕よりも思いの強い岐阜出身のメガネ君から進退の相談を受け、話し合った結果二人で小さな会社をスタートさせた。


そこでは、笠松にできたらサッカー場の管理、そして今まで見ていたキッズのサッカーや、障害者スポーツ、そして大学の非常勤講師など地域とスポーツを取り巻く環境のサポートを行うこととした。


これが僕がいまだに岐阜へ行く理由なのである。


僕は、この一般社団法人IGSという会社の理事を行うことで、毎年数回岐阜に行くことができるし、そうやっていくことで、岐阜の皆さんと交流することができる。


まだまだ小さな会社ではあるが、今西さんの思いを継承し、クラブを離れた今でも、岐阜県のために何ができるか?よくしてくれた人たちのために何ができるか?を考えながら、今後もまた岐阜にお邪魔しようと思う。



0コメント

  • 1000 / 1000